天安門事件から20年 - 忘れていないのは誰?
あの天安門事件からもう20年になる。6月4日の深夜に放送された映像は衝撃的だった。つい数時間前まで座り込んで民主化を訴えていた若者や市民達に向かって軍が発砲し戦車で蹂躙するという悲惨な風景を見ることになるとは予想できなかった。
今にして感じるのは、同じ年の11月にベルリンの壁が崩壊するのもこの中国の絶望的な結末が影響を与えていたであろうということ。あの悲惨な光景を目の当たりにしたら、それを避けるすべを考えるだろう。
1989年の民主化運動を暴力で阻んだ天安門事件は、過去の同じような運動(ハンガリー動乱、プラハの春など)との違いが際立っている。
- 自国の軍隊が自国民に向けて発砲したこと
東欧における民主化運動は、当時のソ連軍による介入で阻止され、民主化に理解を示していたその国の政治家も大量に粛正されることになる。天安門事件の場合、自国の人民解放軍による部隊が組織され市民に発砲された。 - 世界に映像が中継されたこと
時代はCNNが台頭するころで、天安門からの中継が映像ジャーナリズムのテストケースとなったこと。中国が次々と回線を閉鎖する中で最後までCNNはふんばり、中国当局とのやり取りもライブで中継され、軍による掃討作戦は、返還前の香港を経由して生々しい映像が絶えず送られてきた。翌日のあの戦車を止めようと立ちはだかる白いシャツの男性の映像は忘られない。
あれだけの政治の暴力があっても、日本や欧米には民主化を求める声を効果的に援護や支援することは結局できず、ある種の無力感がだけが残った。
あれから20年で中国は大きな変貌を遂げた。近代的な都市になり、今では貧富が拡大する共産主義国家という矛盾を抱えている。そして奇妙なことに誰よりも「天安門事件」のことに神経質になっている。口では「すでに政治判断がなされた事項」と言いながら。
○参考リンク
NY Timesの記事。当時17歳で天安門事件のときに市民に銃を向けた兵士のその後の話は、あの惨状の後で生きることを考えされられる。
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