Personal tools
現在位置: ホーム Business Matter 英語ができることはエライのか?
categories
 

英語ができることはエライのか?

作者: Shigeo Honda 最終変更日時 2010年07月09日 18時26分 |
カテゴリー:

しばらく前にTwitterでユニクロや楽天が数年内に企業内の共通言語を英語にするという話題がさかんに取り上げられていた。気になったのはその多数が肯定的だったこと。「これで日本企業が変わる」「社会に対するインパクトが大きい」という意見もあるが本当にそうだろうか? 英語ができることはそんなに「エライ」ことなのだろうか?

この主の報道やリアクションの中で欠落しているのは何が目的でそうするのか、ということ。単に英語ができれば国際競争力が高い企業だと言うなら米国や英国、インドなどは優良企業揃いということになってしまうし、英語ができることが優れたビジネスパーソンを保証することでない。それはMBAを持っていることと優れたマネージャ、経営者であることとは別だということと同じ。

英語ができることが担保できることは?

肝心なことは、競争が激しく多様な利害が交錯する今のビジネス環境で適切に対応できる人材をいかに育成し企業の成長に結びつけるかということであって、社内公用語を英語にすることではないはず。英語を社内の基準言語とすることにメリットがあるとすれば、英語は論理的で曖昧さなのない表現を求めるので、例えば日本語的な「ちょっと難しいです」「検討します」といったOKかNGか分からない議論は減るかもしれない。ただそれが有効になるにはスタッフそのものに高い資質が求められるし、上司のリーダーシップが今以上に求められることになる。それに耐えられる日本人管理職はどれくらいいるのだろう? 2年後に英語が習得できなかった管理職は止めてもらうという勇ましい話があるけど.....。

日本的経営を捨て去るとは?

もうひとつの議論に「日本的経営を捨て去る」というのがあるけど、社内を英語にしたり、外国人の採用を増やすことと「日本的経営を捨て去る」とはこれも別の話。「日本的経営を捨て去る=単なる能力主義」だとむしろ日本の企業がもっていたスイートスポットを殺してしまうことになるのでは。

今アジアで起こっていること

この何年かで僕も英語が普通に話せるようになり、英語でドキュメントをやり取りしてアジアのアウトソース企業とソフトウェア開発などもスムースに行えている。確かに英語ができると便利なことは確か。何と言っても日本におひれが付いてやってくるに二次情報ではなくオリジナルの情報や担当者に直接アクセスできるのは効率的だ。でもそれは限られた範囲のこと。
知人のmixiアプリを開発している若い企業は韓国や中国のエンジニアを採用しているが、彼らは英語は話せない。なぜなら最初から日本で働くことを目的にしているから。日本を目指すアジアのエンジニアは本当に勉強熱心で日本語も上手だし、基礎的なレベルも高い。会社が英語だからというのはここでは何のメリットもない。
ではアジアのコンシューマ市場はどうか。それは「ローカライズが勝負」の世界。欧米企業は中国語、ヒンデュー語、ベトナム語などの現地の言語を習得した精鋭スタッフを送り込んでいる。英語ができるだけでは、地元のビジネスチャンネルと信頼関係が確立できないのだ。

それ以上に気になること

僕が気になるのは、「英語を標準語に」と唱えている企業の一般社員やスタッフに活力が感じられないこと。マニュアル通りに一生懸命なのかもしれないが疲弊してはいないか。どうしてユニクロのお店のスタッフはあんなに疲れた感じなのだろうか? 同じ銀座でAppleストアとユニクロにいくと、ユニクロのスタッフの疲れた雰囲気が気の毒なほど。

経営者にとって企業と社員とどちらが大事か? やはり社員というリソースを第一に大切にする経営者であって欲しい。

ドキュメントアクション

英語と国際感覚

投稿者: jhotta 投稿日時: 2010年07月11日 11時08分
国内の報道をみていて勘違いしやすいのは、英語という語学能力の獲得と国際感覚の獲得がnearly equalなっている事である。そこをどうとらえるかでしょうね。英語が当たり前の様に話せる社会が来れば、国際感覚の意義に目が向くようになるのではないでしょうか?

ここでの意義は英語なんてたいしたスキルではないっていう環境を国内に作り上げるためのカンフル剤てきな対処療法的発言ではないでしょうか?

国際感覚、国際コミュニケーション能力の高揚の過程的現象では無いでしょうか…。