横浜トリエンナーレ2008 - 時間のクレパスに落ち込んだのは誰?
3回目となる横浜トリエンナーレに出かけてきた。今回はあまり期待をしては行かなかったのだが、それでも疲労感が残るだけになるとは思わなかった。広い会場に対してあまりにも内容がなさ過ぎる。これはひどい。キュレーターが問題なのかどうかはわからないが、もっと見せ方とか集め方、テーマの設け方があったのではないか。「TIME CREVASSE (タイムクレヴァス)」というテーマに自身が落ち込んだのだとしたら皮肉なこと。
広い倉庫にベニヤで仕切った「箱」を作り、その中でただ映像やインスタレーションが置かれているだけという展示があまりにも多すぎる。赤レンガ倉庫には、小杉武久のタジマハール旅行公団のインドツアーの様子のフィルムや、土方巽のステージの記録フイルム、ハイレッドセンターのフィルムなどなど、60年代、70年代の貴重な映像があるものの、同時代のものだからといって、ただ3面のスクリーンに雑多に上映されているだけでは意味がない。トリエンナーレ期間中に上映するならもっとキチンとした見せ方もあっただろう。
インスタレーションも同様で、ペンキをぶちまけたりとか、鏡を割るといったバイオレントなパフォーマンスの残骸の跡地をそのまま見せられても虚無感がただようだけ。その場所に置かれた大きな液晶モニタでそのパフォーマンスのビデオを大人しく眺めている若者を見ていると、そんな従順なことでどうするんだ、と言いたくなる。僕らがやるべきことはその液晶モニタを壊してそのパフォーマンスの一部になることではないのか。
60年代、70年代回帰がトレンドかどうかは知らないが、今回の会場には新しい力を感じさせるものがほとんどない。電子素子がジージーと情けない音を発する小杉武久のインスタレーションはもう充分だろう。灰野敬二のエレクトロニクスノイズは照明が消されたライブハウスの闇に閉じ込められているものであって海の近くの倉庫は似合わない。Tony Conradのパフォーマンスもあったそうだが、よほどノイズ、ジャーマンロックファンでもキュレーターにいたのだろうか。がらんとした会場で唯一人がならんでいたのが勅使河原三郎のパフォーマンス跡というのも空しい。
そんなレトロスペクティブな風景の中で唯一新しさらを感じさせたのは「A=P=P=A=R=I=T=I=O=N」と題された巨大なサウンドモビールの作品。ただ作者を見ると「Cerith Wyn Evans with Throbbing Gristle」。80年代の彼らが新しいものに見えてしまうというのが、今回のトリエンナーレがどれだけ迷走したものかを象徴している。
途中から疲労感を感じた中で、唯一の救いだったのは会場の古い倉庫の落ち着き。ふと上を見上げると明かり取りの小さな窓から青空が見えている。その空だけが希望を与えてくれた。
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