「建築の記憶」- 残すことと見せること
見たい展覧会というのは、まだ会期があると油断していると見逃してしまう。あっ、そうだ。と気がついたときには終わっていて悔しい思いをする。そうならないように、東京都庭園美術館で3月末までやっている「建築の記憶 -写真と建築の近代史」展に出かけてきた。
江戸末期から明治にかけて日本に入ってきた写真技術は最初は肖像画の代わりとして主に人物の撮影に使われていた。それが「記録」として使われる対象になったのが建築物。
展示の入り口には明治初期に撮影された大きな熊本城の写真がある。天守閣などが不審火で消失してしまうまえの貴重の写真。驚くのは城の周りの風景で畑と粗末な家が一面に広がっている。城もずいぶんくたびれた印象。明治に入って武士制度が急速に崩壊していったことを反映しているのだろうか。ちなみに現在は城の周りは街の中心であり、欧米ブランドが入るデパートや美術館などの商業地域となっている。
もうひとつは荒廃した江戸城の内部の写真。草がぼうぼうに生え、捨てられた城に夏の暑い日差しが容赦なく照りつけている。ここにはTVの時代劇で見るような荘厳な江戸城はない。
建築の写真が記録してその役目を最大限に発揮したのが、北京城や首里城を克明に記録した写真シリーズ。当時はカラーフィルムはないので、柱や天井の文様は別に画家が克明にスケッチした資料と合わせて記録されている。これらの資料が後に首里城を再建するときにどれだけ役に立ったかは想像に難くない。
大正以降になると、まず皇族の住居の記録写真が目につく。明治天皇時代の和洋折衷の装飾の大広間など今では想像できない豪華さだったのだろう。また一方では、アールデコ様式を取り入れた洋館スタイルや純然たる和式のストイックな木造建築まであり、海外に遊学した皇族が日本に持ち帰った文化の片鱗がうかがえる。
そして昭和になると、丹下健三、黒川紀章、磯崎新などの時代となる。この時代になると、もはや写真は単なる「記録」ではなく、プレゼンテーションのツールであり、コミュニケーションツールとなる。代々木のオリンピックプールなどの建築模型とその模型を実際の人の視点から撮影した写真をみると、完成後のイメージをいかに伝えるかに腐心したかがわかる。これらの写真はコンペで重要な役割を果たしたに違いない。
そして今では建築は都市のデザインの一部であり、誰もが携帯電話のカメラで撮影している。建築写真というジャンルも確立され、書店には写真集が並んでいる。建築と写真は今でも重要な関係であることに変わりはない。
○参考リンク
・「建築の記憶 -写真と建築の近代史」展


